よしおかノート

人生とは、壮大かつ複雑な実験である

或る生徒の父親の死に寄せて

 

教員という仕事をしていると、生徒の数だけ色々な経験をする。嬉しいことも楽しいことも、時には胸がつぶれるようなことも。

 

 

 


昨年、教師2年目にして、担任をしているクラスの生徒の父親が亡くなるという経験をすることになった。死因は突然死。ある朝、起きてこない父親の様子を見にいくと、布団の中ですでに亡くなっていたそうだ。
まだ若く、皆から頼りにされる立派なお父さんだったらしい。地元の消防団に所属していて、人望も厚かった。通夜には会場から溢れるほどの人が参列していた。


生徒の親が亡くなった場合、担任と学年主任、管理職が通夜(あるいは葬儀)に参列するのが通例である。まだ身内の葬儀にもあまり参加したことのなかった私は、その異様な空気に呑み込まれそうになっていた。

(父親と同い年の学年主任はもう流石に慣れていて、「お前、何緊張しとんねん」と、わざとツッコミを入れてくれたりしたので、それで少し気が紛れた。)


通夜が始まり、徐々に参列者の列が進み始めると、人だかりの奥に担任する生徒の姿が見えた。黒い喪服に身を包む母親や兄弟といった遺族の中で、彼は唇をぎゅっと噛み締め、しかし決して俯くことも涙を見せることもなく、立派に務めを果たしていた。その姿を見て、私はその日初めて泣きそうになった。

 

 


私は元来、人との関わりが薄い。友人と呼べる人も数えるほどしかいない。そんな私が、教師になってからは何十、何百人という生徒たちと日々関わるようになった。仕事としては勿論、日々真剣に彼らと向き合ってはいるのだが、所詮は卒業するまでの付き合いであり、他人だと思っていた。
しかし、生徒の父親の葬儀に来てみて、変な話だが「あぁ、他人事じゃないな」と感じた。関わった以上は、もう他人ではないのだ。

 

 

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翌日のホームルームで、クラスの人たちに伝えようとしたことのメモである。結局、きちんとは伝えることはできなかった。でもそれらしいことは言えた。


そして、何日か学校を休んだ後、彼は何事もなかったかのように笑顔でクラスの中へ戻っていった。それは彼自身の強さ故だったのかもしれないが、うちのクラスのある意味でのアホさとか能天気さは、彼の救いになったと、密かに感じている。いつも叱られてばかりのクラスだが、人の気持ちがわからない奴らではないのだ。そしてそんな自分のクラスに、私が一番救われているのかもしれない。