よしおかノート

人生とは、壮大かつ複雑な実験である

先生と湯豆腐とウィルキンソン

 
 
炭酸水が好きだ。特にウィルキンソン社のものは、炭酸が強くて喉越しもいいので常備するようにしている。
 
「炭酸水って美味しいの?」「味しないんじゃないの?」と周りからよく聞かれる。たしかに最初のうちは味がしないことに戸惑うが、慣れると甘ったるい炭酸飲料よりもむしろスッキリと飲めていい。しかもたいていの飲料よりも安価である。そして糖分やその他もろもろもゼロ(だってただの水だもの)。健康にもいいし、いいことづくめだ。
 
私が炭酸水を飲むようになったのは、仕事をするようになってからだ。理由を考えるに、お酒を日常的に飲むようになったからではないかと思う。とりわけ、学生の時には苦手だったビールを、社会人になってからは好んで飲むようになった。仕事で疲れて渇いた喉には、ビールの少し強めの炭酸が心地いい。その快感を、普段から求めるようになってしまったのかもしれない。いかにも酒呑みの発想だ。
 
 
 
 
  ウィルキンソンといえば、と、ある小説のことをふと思い出した。川上弘美の『センセイの鞄』である。ふた回り以上も年の離れた”センセイ”との交流を描いたこの美しい小説を初めて読んだのは、卒論に追われていた大学4回生の冬だったと記憶している。それから本棚の中のこの小説に、何度も手をのばしている。恋愛小説なのにやたら酒とつまみの描写が秀逸で、読むと必ず湯豆腐をツマミにお酒が飲みたくなる。この辺りも、酒呑みにはたまらない。
 
 
ウィルキンソンの瓶は、さりげなく、しかし象徴的に、この物語の中に存在している。「自宅の冷蔵庫にウィルキンソンを常備するような大人」に、この本を読んだ私は、きっと憧れた。その憧れが、数年後無意識のうちに行動にあらわれていたことに少し驚いた。
 
奇しくも私は今、「先生」と呼ばれる仕事に就いている。作中の”センセイ”と同じ種類の人間として、私は生きている。そんな偶然を噛み締めつつ、「ぷしっ」と勢いのある音を立て、私は今日もウィルキンソンのふたを開ける。
 
 
 

 

センセイの鞄 (文春文庫)

センセイの鞄 (文春文庫)