よしおかノート

人生とは、壮大かつ複雑な実験である

創造的な仕事をするために

 

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矛盾しているようだが、教員としての多忙な生活の中で最も疎かにされがちなのは、教材研究であるかと思う。恥ずかしながら、私はそうだった。慣れない事務仕事や生徒指導、保護者対応に追われ、授業に関しては前日に準備をする。文字通りの自転車操業である。

先日、校外研修にて教科に関する指導を受けたが、見事に自分の教材の粗さが露呈し、自分の日頃の働き方を反省した。

 

その研修の帰り、いてもたってもいられなくなった私は、ストレス発散も兼ねて本屋に寄った。そこでたまたま手に取ったのが又吉直樹氏の『夜を乗り越える』である。

 

 上京一年目、養成所時代から毎日ネタを作っていました。それ以外やることがありませんでした。思いつかなくてもノートの前にペンを持ち、「原 はい、どうも線香花火です。/又・原 よろしくお願いします」までを書く。とにかく毎日それだけはやりました。思いつかなかったら昨日と同じことを繰り返し書く。少なくとも設定までは書く。

ネタを書くために二十四時間営業のファーストフード店やファミレスにも行きました。後は散歩し、何かを思いつくと座ってノートに書きとめました。コンビニで深夜バイトしている時も、紙ナプキンの裏にネタを書いていました。

(中略)努力でもなんでもなく、それをやっている時間が幸福でした。

 

 

ああ、これだ。この感覚。

こういうことがしたかったのだ、と思った。こんな風に息を吸うように働きたい。いや、働いている、という意識すら無くなるほどに生活の中に取り入れられるような仕事をしたい。そして、もっと創造的な楽しみをもった仕事がしたい。

そのために教員になったはずだったのだ。そんなことを思い出すことのできた日だった。

 

 

 

 

 

 

 

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)

 

 

 

 

 

 

無気力には、「自分を甘やかす」という選択肢を

 

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仕事が忙しい時には、「あれがしたい」「これがしたい」という思いがあふれているのに、いざ1日、いや半日でも時間ができると、とたんに面倒くさくなってしまうということは、誰にでもあるかもしれない。私の場合、面倒くさくなるばかりか、全ての事柄に興味を失ってしまい、本当に文字通り何もせずに只々半日を過ごすということが割とよくある。

 

今のところ、原因は分からない。突発的な精神病かもしれないし、重度の面倒くさがりか、天邪鬼なのかもしれない。

 

 

原因はともかく、大切なのは、いかに時間を無駄にせず、自己肯定感を高めるかである。人生は短い。できれば有意義に楽しく過ごしたいものである。そのためのヒントというか、考えた方法がある。

 

それは、完全に無気力になる前に、自分の中の「want to」に気づくこと。例えば、「今、なんかうどん食べたいなあ」とか、「そういえば、ずっと前から見たかったあの映画、今ちょっと見たいなあ」とか。そういう小さな「やりたいこと」に気づいて、実行してやること。この、自分を甘やかす時間が定期的に取れていれば、何となくそんなにひどい状態にはならない気がする。少なくとも、「時間を無駄にした」という自己嫌悪感は持たずに済む。

 

仕事でもプライベートでもやりたいことがあるのにそのモチベーションを保てないのは辛い。まずは自分を思い切り甘やかして、心身を健康にしてやることも大事ではないかと思うのだ。

 

 

 

 

 

ブログを始めるにあたって

 

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ブログ開設は、私の長らくの夢であった。

 

文章を書いて、生計を立てられるような仕事に憧れていた。結局、その夢は叶わず、今は教師をしているわけであるが、それでも憧れはくすぶり続けていた。ブログという手段があると気づいてから、これまで何度か挑戦しようとしたが、いざ筆を取るとなると何も書けなかった。

 

なぜ、今回再び挑戦する気になったのか。おそらく、「このままではいけない」という、何かとてつもなく漠然とした焦燥感からだ。これまでの経験からも、このブログが続く気は全くしないが、とにかく余計なことは考えずに書いてみようと思う。

 

このブログは、うまくいけば私の思考の記録となるはずである。とりとめのない思考から、何が生まれるかは分からない。